第1部 SIM TOWN【井角町】解説


3.開発問題の構造的把握

 私たちが対象とした湯沢町におけるリゾート開発に伴う問題は、「開発問題」と言われます。すでにお話ししましたように、開発問題はその取り扱いがなかなか容易ではありません。それはなぜなのでしょうか。次に、開発問題の取り扱いの困難さについて、その理由を述べたいと思います。このことは、皆さんがさまざまな開発問題を取りあげる場合の留意点を明らかにすることでもあり、また、【井角町】の教材としての意義を考える上でも欠かせません。

(1)開発問題教材化の難しさ

 【井角町】で取り扱っている「エコリゾートパーク開発計画」や「ショッピングセンター建設計画」などに伴って生じる問題は「開発問題」と言われます。開発は人間が存在する以上、必ずなされる人類永遠の営為と言えましょう。社会科では、こうした「開発問題」を題材として取り扱うことは多いのです。しかし、ある意図や目的の達成に向けての開発行為は、その意図やねらいとは異なる影響や結果をも招きます。つまり意図せざる結果を同時に招くのです。しかも、その意図せざる結果はある人々にとっては被害を招く負の影響を及ぼすものなのです。例えば、公害問題や環境問題は、人々の開発行為と表裏一体となって現れますが、ある目的(メリット)をもった開発行為が自然破壊や人々への健康被害などデメリットを伴う場合が多いことからも確認できるでしょう。

 こうした「開発問題」を社会科の教育内容として取り扱うことは、学習者が社会事象に向けられる人々のさまざまな見解を理解するといった点からも大切です。しかしながら、一方では、先ほど述べたように現実の「開発問題」を教材として取りあげるということは、教師にとってそう容易なものではありません。特に、対立を内包した地域の開発問題を教師が取り扱うことは、学級内や保護者間、地域の人々の反響を巻き起こすことにもなりかねません。教師の中立性が問われる場合もあり、批判の的にもなりかねないのです。

 このような開発問題の教材化もしくは授業化に伴う困難さのために、従来開発問題についてはあたりさわりのない事実の提示や説明的な授業に終始しがちで、教師も学習者も傍観者的な立場から学習することが多かったのです。しかも、自分たちの地域の問題には触れずに、第3者の立場から見ることのできる他地域の問題を題材とすることも多かったわけです。上述したような事情を考慮すれば、こうした開発問題に対する教師の取り扱い方も仕方がないものなのです。

 では、開発問題は、このように無難なやり方でしか取り扱うことはできないのでしょうか。このような開発問題を授業で取り扱うことの困難さや問題点を克服する方法はないのでしょうか。私は、別な取り扱い方も「できる」と考えます。それは、私たち指導する者が「開発問題」の特色(構造)を理解することによって可能になると考えます。

 次に、その解決策についてお話します。


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(2)「受益圏」と「受苦圏」による開発問題の類型化

 梶田孝道氏は、「受益圏」と「受苦圏」という対概念から開発問題の構造的な把握を行っていますが、この梶田氏の議論は大変参考になります 11)。 この受益圏と受苦圏という対立概念は、社会問題を分析するために提示されたものです。ここで、梶田氏の議論の概要を追ってみることにします。

 梶田氏によれば、社会問題によって生じる利益や不利益との関係から、受益者及び受苦者の集合体を「受益圏」と「受苦圏」という概念で捉えます。これらの概念は、_「欲求」もしくは当該社会・集団にとっての「機能要件(目的)」の充足・不充足として規定され、同時に、_一定の空間的広がり(「範域性」)をもった「地域的な集合体」として規定されます。例えば、梶田氏による新幹線建設問題の事例をあげると、この場合、機能的要件(欲求)の充足・不充足という観点からは、新幹線の「速さ」や「快適さ」(機能用件)といったメリットを享受したいと願う人々の集合体が「受益圏」です。しかし、この建設に伴って平穏な生活環境の保持(機能用件)が脅かされる人々の集合体が「受苦圏」となります。また、空間的広がりである範域性(地域的集合体)の観点からは、新幹線を利用する全国民が「受益圏」であり、新幹線により生活環境を破壊される沿線住民が「受苦圏」となります。

 さて、この受益圏と受苦圏については、さらに「重なり」と「分離」という観点が、加えられます。「重なり」は、同一主体内・同一地域内に受益と受苦の両方が重複する場合を言い、「分離」は、主体間または地域間に受益と受苦とが別々に存在する場合です。例えば、新幹線建設では主体及び地域という観点でも受益圏と受苦圏は「分離」していますが、自治体内におけるゴミ処理工場建設は、その地域内の人々に受益も受苦ももたらしますので「重なり」の事例となります。

 梶田氏は、さらに、「機能的要件(欲求)」「範域性」という2つの観点と、「重なり」「分離」を組み合わせて、社会問題を図2のように類型化しています 12)。

 第_象限は、受益圏と受苦圏とが重なり合った利害関係の中で発生する場合で、梶田氏はこのタイプを「重なり型紛争」としています。このタイプの事例としては、先ほどの自治体内におけるゴミ処理場建設があげられます。この建設に伴って、地域住民には、メリットもデメリットも存在するわけです。次に、第_象限は、受益圏と受苦圏とが機能的要件(欲求)においては重なり合い、地域的には分離しているという場合です。これは、ある開発に伴って利益も不利益も同時に受ける人や地域が、全国的に拡散している状況と言えます。例えば、国立病院の施設・設備の拡充やサービスの向上と診療費のアップといった事柄が社会問題化するならば、これは第_象限の事例と言えましょう。第_象限は、受益圏と受苦圏とが分離しあった利害関係の中で発生する場合で、梶田氏は「分離型紛争」としています。先に示した新幹線の事例がこれに該当します。第_象限は、受益圏と受苦圏とが機能的要件においては分離し、地域的には重なり合っているという場合です。ある開発に伴って地域内に受益者と受苦者とが発生している状況と言えましょう。例えば、ゴルフ場用地を売却した地権者(受益者)とゴルフ場の開発・営業に伴う農薬問題などの被害を受ける周辺住民(受苦者)との地域内対立などは、この第_象限の事例となるでしょう。梶田氏のこの類型化は社会問題一般を考えてのものですから、開発問題を考えると、第_象限の事例はあまり例が見られず、開発問題は、_、_、_の象限に該当するものが多いと考えられます。

 ところで、梶田氏は、今日の社会問題が、スケールメリットの追求と各地域間の相互依存性の増大によって、ある一定の地域に関係した自己完結的な重なり型紛争から、分離型紛争へとその主流が移動していることを指摘しています 13)。この分離型紛争は、コンビナート建設、新幹線建設、空港建設などに伴う「大規模開発問題」における紛争に見られるものです。すなわち、「開発にともなって広範囲にわたる国民が希薄化された利益を享受する一方で、一部の地域住民には致命的とも言える犠牲」14 が及ぶことになります。この場合、公的・準公的機関やその行政担当者は受益を中心に思考して「受益の集約的代弁者」となる場合がほとんどです。ところが、「受苦の集約的代弁者」はほとんど存在しないというのが、日本の現状であると梶田氏は指摘しています 15)。 近年のオンブズマンの制度やNGO 16 は、このような問題状況に修正を施す制度や組織と言えます。


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(3)湯沢町のリゾート開発における受益圏と受苦圏

 さて、受益圏と受苦圏という対概念から、私たちが【井角町】の実践を初めて行った湯沢町のリゾート開発について考察してみたいと思います。湯沢町の場合、余暇利用や投資を目的としてマンションを購入した人々(湯沢町以外の人々が多い)、あるいは他地域からの観光客、湯沢近隣から湯沢町に来て働く労働者、開発地の土地を売却し近隣市町村に居住する者などは「受益圏」と規定できます。逆に、湯沢町の住民の中でも、リゾート開発による何等かの利益を享受できず、しかも、道路の混雑、物価の上昇、ゴミの増加等の不利益を被る人々は「受苦圏」ということになります。いずれの集合体も「分離」と規定できます。ところが、同じ湯沢町住民でも湯沢町に居住し不利益を被りながらも利益を享受している観光業者や商店経営の人々などは「重なり」と規定できます。湯沢町では、「受益圏」と「受苦圏」、あるいは「重なり」と「分離」とが複雑に入り組んでいます。このことは、私たちが現地での公的機関、企業、商店、住民に行った面接調査や湯沢町関連の新聞記事、文献、資料などから確認したことです 17)。

 湯沢町のような受益圏と受苦圏が複雑な絡み合いをみせる地域の場合には、地域の開発問題を取り扱うことは難しく、ましてや、教師がある特定の立場から授業を行うことや受苦圏には入らない者が授業を実施することは倫理的な問題を伴います。教師は、地域外から赴任している場合が多いのでこの点を充分配慮しなければなりません。

 梶田氏があげているような、自治体におけるゴミ焼却場汚染の問題は、地域住民のほぼ全体が利益を享受しつつも被害を被るという「重なり型」ですから、その地域において住民のダブルバインド状況として授業化し、問題の解決策を話し合うような授業は可能です。また、新幹線建設の場合などは、建設沿線地域は騒音や振動などの被害を受ける受苦圏に該当しますので、この地域において予測される公害についての批判的な授業を実施することも可能です。しかしながら、湯沢町のリゾート開発に見られる受益と受苦の複雑な関係が生じている地域では、地域の開発問題を教材化したり授業化することは甚だ困難な事柄なのです。

 では、湯沢町の開発問題を他地域で授業実践をする場合はどうなるのでしょうか。自分たちとは無縁な地域の開発問題として扱うのか、やがてはリゾート地として利用する受益者として授業化するのでしょうか。あるいは、リゾート開発を告発する立場から授業化するのでしょうか。この点について、私たちは、人々がある地位や役割、そして位置によってリゾート開発に対して異なる見解をもっているという事実に着目します。受益圏、受苦圏の複雑な絡み合いは、その人のある地位、役割、位置といった属性と深く関連するものだからです。例えば、リゾート開発会社の社長であるならば、リゾートによる国土開発が必要だという信条や徹底して会社の利潤追求を行うという経営理念をもっているかも知れません。しかし、リゾート開発を否定するような信条をもつことはその地位や期待される役割自体を否定することになり、開発会社の社長を継続することは困難となります。このように、ある地位や役割を取得している者はそれに応じた態度や行為を自ずと要求されているのです。

 このようなことは、観光地の旅館やホテル、商店などの経営者や従業員も同様なことが言えます。これらの人々は、リゾート開発による交通渋滞やゴミの問題など生活面では不利益があろうとも観光客や住人の増加は収益の増加につながるので、リゾート開発に対しては肯定的な態度をもっていました。逆に、リゾート開発地に居住していても、土地の売買にかかわりなく、職業としても何等の収益にもつながらない人々は不利益のみを被ることになるため、リゾート開発には否定的な立場をとらざるを得ません。

 こうした職業や地位、役割などに


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